人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

ひ っ そ り と

指先は凍える

 雪が降らないくらいの寒さ。それでも指先は冷たくなる。
なんとなく友人と遊び、友人がウイルス対策ソフトをインスコするのに付き合う。
 ひとが喜ぶのを見るのはわるくないね。
なんだか某占いの星座総括そのままで面白くないけど。
 それでも、困っている友の役に立てた。
自分でも役に立つことがあるんだなぁと思った。

 テレビは特番続き。
ゲイノウジンがチェーン店でお腹壊すまで食べようが食べまいがどうでもいいし、
タレントが湖か沼で自転車こいで溺れようが完走しようがなんとも思わない。
ようするに、だ。 以前に同じゲームを見ていたので、飽きちゃったワケ。
新鮮なアレコレは、もはやルーティンワークな大手TV番組よりも、ケーブルやBS,
もしくは、ブロードバンド活用のインターネッツ個人放送にみつかりやすい。
 公共電波である地上派放送には、もちろん制約が多くあるのは知っている。
小うるさいPTAそのほかの稀有なご意見が、スポンサーの首を絞める事情も。
だから地上派の番組には当たり障りのないものが増えたのだろうし、
過激なお笑いを見たければ、小劇場に足を運ぶか、販売専用のDVD作品を見るしかない。
 そうではなくて、わたしが言いたいのは、バランスだ。
地上派の番組の横並びのバランス。これがイビツであれば、ひとはTVから遠ざかる。
 良心の礎と思われがちな(わたしが勝手に思っているだけだが)教育TVでさえも、
特番を組んでいるではないか。NTV50周年がなんだ、どうした。
そんなのアーカイブで特集すればよいだけなのでは??
 教育TVさんには、いまの情報発信をやってほしいわけだ。
過去の特集番組を流すということは、新しいことから目をそむけるということだ。
そうではないのだ、といわれるかもしれないが、少なくとも、過去を振り返るその間だけは、
現在の語られるべき事柄や事件から手を引いているのだ。
 それは、総合であっても同じ。社会は常に動いている。
検証作業も必要だろう、けれども客観的検証などあるというのか?

 歴史を語るとき、ひとは必ずどこかの位置からものをみる。
いや、NHKだけに責任をおしつけてもいけないか。
 むしろ、我々視聴者が情報に敏感となり、情報の正確性と、
報道に秘められた発信者の意図を読み取るべきなのだ。
 情報社会学を学ばなかった世代のひとたちは、安易にマスコミに踊らされやすい。
団塊の世代の子供以降は、反対にマスコミをいぶかしむきらいがある。
 情報源について疑問符をもつこと。
 憶測だけで無実のヒトを有罪と断罪した、サリン事件の長野事件をわたしは忘れない。

 なんだかよくわからない文・・・いつものことだよね?
シラフじゃこんなん書かないかも。
by derikayuki | 2009-12-28 22:49 | 携帯・その他
閉じられた収納箱に喩えられる団塊の世代ジュニアが醸し出す日常と非日常を稀に公開して後悔して消すという実験?!

by 鞍馬天狗(旧名は消しました)